『千と千尋の神隠し』の舞台になった場所に台湾の九份がよく紹介されますが、本当のモデルは日本なんです。その舞台となった場所を完結に紹介
『千と千尋の神隠し』の舞台は、台湾の九份 や中国の洪崖洞と聞きますが。これは嘘。宮崎監督は日本の古き良き物を寄せ集めて作ったとしています。
実は舞台でなかった 台湾/九份の町並み | |
千と千尋の舞台として最有力と言われていた場所だが、宮崎監督は台湾に行ったことがないようです。舞台ではないにしてもとても風情のある場所で観光地として栄えているのは言うまでもありません。「ここ、千と千尋の神隠しの舞台になったっていうのは嘘なんだって・・・」というと通かもしれませんね。 |
実は舞台でなかった 中国/洪崖洞の町並み | |
中国の洪崖洞(ホンヤー・トン)中国の重慶(チョンチン)にある渝中区という長江と嘉陵江が2つの川に挟まれたエリアにド派手は油屋のような建物。訪れた人の多くが「まるで千と千尋の神隠しの油屋のようだった・・」と語る場所だが、関係無いようである |
ジブリの認める「千と千尋の神隠し」 油屋のモデル!
宮崎駿「特定のモデルはないが、道後温泉は確かに入っている」出典:スタジオジブリ - STUDIO GHIBLI - 2003年1月
いつものジブリ日誌 2003年1月 の内容出典:スタジオジブリ - STUDIO GHIBLI - 2003年1月
湯屋「油屋」のモデルはどこか、という質問を映画の公開直後からたくさんいただきました。この件について、宮崎監督に直接質問したことがありますが、監督の答えは、「色々な温泉が入っていて特定のモデルはないけれど、道後温泉は確かに入っている」とのことでした。これは、「スタジオジブリ絵コンテ全集13 千と千尋の神隠し」(徳間書店刊)をお持ちの方なら「カット番号733」(333ページ)を見ていただければわかると思いますが、河の神様が出て行く大戸に「導後」という文字がはっきりと書かれています。そう、これは松山にある「道後温泉本館」を示唆しているのではないかと思われます。
映画の設定である「商店街の一角にそびえ立つ銭湯」について、大いにインスピレーションを与えたのは、「江戸東京たてもの園」の「子宝湯」(こだからゆ)です。ただし、子宝湯の建物自体は「油屋」のように巨大なものではなく、建物のイメージは幾分異なります。 (写真は、「江戸東京たてもの園」の東ゾーンの街並みと「子宝湯」)
映画の効果音の採集に協力していただいた温泉地として、「群馬の草津温泉」「福島のいわき湯本温泉」がありますが、これはもちろん「油屋」とは一切関係ないでしょう。
公開後、「山形の銀山温泉」「宮城の鎌崎温泉」「群馬の四万温泉」「長野の渋温泉」「鳥取の羽合温泉」などの温泉宿から、「うちがモデルではないか」というお話をいただきました。いずれも、古風で立派な建物で、なかには、正面に赤い橋が架かっていたり、大きな湖に面していたりする、映画にそっくりな湯屋もありました。また、同じ「油屋」の屋号を持つ温泉旅館は国内に何軒かあり、中でも長野県の諏訪湖畔に建つそれは、結構似ているようにも見えます。これらの温泉地に監督が訪れたことがあるのか否かについては、残念ながらわかりませんが、監督が特定のモデルはないという以上、正解ではないようです。
映画の設定である「商店街の一角にそびえ立つ銭湯」について、大いにインスピレーションを与えたのは、「江戸東京たてもの園」の「子宝湯」(こだからゆ)です。ただし、子宝湯の建物自体は「油屋」のように巨大なものではなく、建物のイメージは幾分異なります。 (写真は、「江戸東京たてもの園」の東ゾーンの街並みと「子宝湯」)
映画の効果音の採集に協力していただいた温泉地として、「群馬の草津温泉」「福島のいわき湯本温泉」がありますが、これはもちろん「油屋」とは一切関係ないでしょう。
公開後、「山形の銀山温泉」「宮城の鎌崎温泉」「群馬の四万温泉」「長野の渋温泉」「鳥取の羽合温泉」などの温泉宿から、「うちがモデルではないか」というお話をいただきました。いずれも、古風で立派な建物で、なかには、正面に赤い橋が架かっていたり、大きな湖に面していたりする、映画にそっくりな湯屋もありました。また、同じ「油屋」の屋号を持つ温泉旅館は国内に何軒かあり、中でも長野県の諏訪湖畔に建つそれは、結構似ているようにも見えます。これらの温泉地に監督が訪れたことがあるのか否かについては、残念ながらわかりませんが、監督が特定のモデルはないという以上、正解ではないようです。
①宮崎監督が唯一公言している、道後温泉 | |
道後温泉本館は宮崎駿監督の映画『千と千尋の神隠し』に登場する「油屋」のモデルになったといわれている。油屋は、木造による重厚な重層構造の共同湯として描かれており、実際に、製作スタッフが道後温泉に逗留し、近代和風建築である本館のスケッチを行った記録もある。 |
道後がスケッチされた絵コンテ | |
②江戸東京たてもの園 | |
「商店街の一角にそびえ立つ銭湯」について、大いにインスピレーションを与えたのは、「江戸東京たてもの園」の東ゾーンの街並みと「子宝湯」 |
江戸東京たてもの園 | |
江戸東京たてもの園の武居三省堂内には無数の筆入れ棚があり、釜爺の仕事場のモデルとなった場所。また、江戸東京たてもの園には、宮崎監督のサインも飾られています。 |
③目黒雅叙園 | |
千と千尋の神隠しパンフレット(宮崎駿インタビュー)によれば、『千尋が働くことになる湯屋は目黒雅叙園も参考にしています。』とあります。また、絵コンテ集でも、油屋の内部を「目黒雅叙園みたいな所」と記す宮崎駿監督の注釈もあります。 |
目黒雅叙園 | |
千と千尋の神隠しパンフレット(美術監督の武重洋二氏インタビュー)によれば、『でもこの湯屋を描くのに一番参考にさせてもらったのは目黒雅叙園です。湯屋の中の壁の装飾とか天井などは特にそうです。目黒雅叙園の写真集を見ながら。あれはなかなかすごいですよ。壁中に装飾がしてあって、天井に二条城の丸い絵が埋まってたりして。ありとあらゆる擬洋風のものが寄せ集まっている感じなんです。』とあります。 |
以上、本当の舞台としてわかっている場所は、①道後温泉 ②江戸東京たてもの園 ③目黒雅叙園 でした。
また、「ロマンアルバム 千と千尋の神隠し」では、これ以外に、有楽町 ガード下、新橋 烏森口、日光東照宮を参照したことがわかっています。
以下、参照ページ
以下、参照ページ
宮崎駿監督から「台湾、九份は千と千尋の神隠しのモデル地ではない」という否定のコメントがありました。デマ確定です。日本の旅館も同様で、ツイッターでもNAVERまと...
千と千尋の神隠し 舞台のモデルになった場所に関する知恵ノートです。
2003年1月。1月6日(月) みなさん、新年、明けましておめでとうございます。 本日から、スタジオジブリ広報が、しばらくの間この日誌を担当いたします。題して、“「千と千尋の...。
本家、ジブリの日記に詳細が・・・
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2016年12月、『となりのトトロ』は元々、主人公は二人姉妹でなかったことがわかった。
宮﨑駿監督作品、となりのトトロ。トトロたちのご飯がドングリであることにかけて、ドングリでととろを作る人達が沢山
引用元記事:https://matome.naver.jp/odai/2141760991966944701